北野隆一『朝日新聞の慰安婦報道と裁判』の誤謬を指摘する。

皆様

 前回、本年の8月25日に出版された、朝日新聞の北野隆一氏の書籍である『朝日新聞の慰安婦報道と裁判』(朝日新聞出版)に関して記事を掲載いたしました。

 今回は、当研究会の西岡力会長に関する裁判の部分に触れたいと思います。

 

一連の裁判に関する解説は、当研究会HPでも掲載させて頂きました。

2020年3月3日の東京高裁判決内容を解説いたします。(その1)

(東京高裁解説)植村氏側弁護士の不可解な尋問と西岡会長の反論(その2)

(東京高裁解説)植村氏の「金学順自身も挺身隊という言葉を使っていた」という反論に関して(その3)

(東京高裁解説)植村氏側が新証拠として提出した金学順氏への聞き取り取材テープに関して(その4)

 

 北野氏は朝日新聞の関係者であり、『朝日新聞の慰安婦報道と裁判』は朝日新聞側からみた慰安婦報道裁判の解説本と言えます。当研究会とは異なる視点から裁判を考察するという点では有意義かもしれませんが、北野氏の書籍には重大な誤認が確認されたため、当HPにてその点をご紹介していきたいと思います。

 

北野氏の誤認 その1
【植村氏が書いた当時の記事は捏造ではない。当時は慰安婦と女子挺身隊を混同して使用していたので間違えてしまった。】

 この点は、当研究会HPにて解説いたしました「その3」に詳述しております。簡潔にまとめますと、植村氏は「慰安婦と挺身隊の言葉を間違えた」のではなく「元慰安婦の証言者(金学順)の証言内容そのものを捏造した」という点を北野氏は認識できていないのです。

『朝日新聞の慰安婦報道と裁判』における「第5章 『慰安婦問題を考える』」の「Ⅱ 慰安婦と挺身隊の混同(二〇一六年三月)」で特に顕著です。

 

  慰安婦問題をめぐる日韓両国社会の間の歴史認識のずれが明らかになった例の
  一つに、挺身隊と慰安婦の混同があ
る。日本でいう「慰安婦」と戦時中に女子
  学生らを工場労働などに動員した「女子勤労挺身隊」は、まったく別だ。しか
  し韓国では長らく慰安婦が「挺身隊」の言葉で認識され、朝日新聞を含む日本
  の各メディアも一時期、混同して報じた。

    北野隆一『朝日新聞の慰安婦報道と裁判』
   「第5章 『慰安婦問題を考える』、Ⅱ 慰安婦と挺身隊の混同(二〇一六年三月)、1 吉方べき氏に聞く」

 

 これは、1991年8月11日の朝日新聞にて、慰安婦であったことを名乗り出た金学順氏の証言を報道した記事(裁判では「原告記事A」と呼称されている)のことを指しています。植村氏は当時、記事で金氏を「女子挺身隊の名で戦場に連行された朝鮮人慰安婦」と紹介しました。

 北野氏の説明にもあるように、女子挺身隊とは軍需工場へ労働することを課された女性たちのことです。一方で、慰安婦とは性接待で報酬を得る仕事です。当時は両者の違いが明確でなく、本来は慰安婦と書くべきところを女子挺身隊と紹介してしまった。従って、植村氏は語句を間違えただけなので、記事は捏造ではないのだと北野氏は主張しています。

しかし、北野氏のこの主張は本質から外れた論点と言わざるを得ません。

植村氏は慰安婦と女子挺身隊を間違えたのではありません。

元慰安婦の金学順氏の証言そのものを捏造したのです。

 

 当時の金学順氏はキーセン(性的奉仕などを務める女性)の学校に通い、養父に日本軍の慰安所まで連れて行かれたと証言していました。国家総動員法にもとづく女子挺身隊として日本軍によって無理やり連行され、慰安婦にされたことなど話していません。ところが、植村氏は「キーセン」という言葉を隠し、「日本軍による強制連行」というイメージを読者に植え付けたのです。

 単純な語句の間違いではなく、明らかに悪意をもって捏造していると指摘されても仕方がないことを植村氏は犯しているのです。地裁と高裁の判決もこの部分について西岡会長が捏造と書いたことについて「原告は、意図的に、事実と異なる原告記事Aを書いたことが認められ(る)」と次のように書いています。

  原告[植村]は、原告記事A[1991年8月11日記事]において、意識的に、金学順を日
  本軍(又は日本の政府関係機関)により戦場に強制連行された従軍慰安婦とし
  て紹介したものと認めるのが相当である。すなわち、原告は、意図的に、事実
  と異なる原告記事Aを書いたことが認められ、裁判所認定摘示事実3[植村氏が
  、金学順氏が「女子挺身隊」の名で戦場に強制連行され、日本人相手に売春行
  為を強いられたとする事実と異なる記事をあえて書いたこと]は、その重要な
  部分について真実性の証明があるといえる。

 

 このことに関する植村氏からの弁明は未だにありません。北野氏はこの点を認識しているのでしょうか。認識しているのであれば、なぜ自身の書籍でこの点に言及していないのでしょうか。

 北野氏の『朝日新聞の慰安婦報道と裁判』を読むと、左派の人々が未だに慰安婦報道捏造事件の本質を理解できていないのではないかという思いに駆られました。

 

北野氏の誤認 その2
【西岡氏は、金学順さんは訴状とハンギョレ新聞で「親に身売りされて慰安婦になった」「四十円でキーセンに売られた」と話したのに、植村氏が記事で触れていないと批判したが、訴状にもハンギョレ新聞にもそのようなことは書かれていない。西岡氏が間違っていた。】

 この点も、当研究会HP上の「その2」で指摘済みです。北野氏の書籍では次のように述べています。

 

  原告側弁護士は、西岡氏が著書の『よくわかる慰安婦問題』で、金学順さんに
  ついて「ハンギョレ新聞からの引用」として「四〇円で売られた」と述べてい
  る、と記述した箇所についても追及した。ハンギョレ新聞の当該記事に「四〇
  円で売られた」という記述がないことを指摘され、西岡氏は「間違いです」
  「これはまずいです」「確認していないとしか思えないです」と認めた。

    北野隆一『朝日新聞の慰安婦報道と裁判』
   「第11章 植村隆・元朝日新聞記者の訴訟、8 西岡氏への尋問(二〇一八年九月)」

 

 まず、「親に身売りされて慰安婦になった」に関しては、訴状には身売りに関する直接的表現はありません。しかし、西岡会長は訴状と韓国紙の文章を読んだ上で、実質「親に身売りされた」と総合的に判断しました。

 金学順氏は1991年8月14日のソウルでの記者会見にて「キーセンに入った後、日本の軍隊のあるところに行った」と発言しています。

 その4ヶ月の1991年12月の訴状(p.51)で、金氏は「一四歳からキーセン学校に三年間通ったが、一九三九年、一七歳(数え)の春、『そこに行けば金儲けができる』と説得され、金学順の同僚で一歳年上の女性(エミ子といった)と共に養父に連れられて中国に渡った」と話しています。

 西岡会長は訴状と韓国紙の文章を読んだ上で、実質「親に身売りされた」と総合的に判断したのです。

 

 「四十円でキーセンに売られた」という内容はハンギョレ新聞ではなく、1993年11月刊行の『証言 強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち』(挺身隊研究会編集、明石書店)で収められた金氏の証言でした。

 西岡会長は『よく分かる慰安婦問題』第1刷(2007年6月28日発行)の42頁で、「私は四〇円で売られて、キーセンの修業を何人かして、その後、日本の軍隊のあるところに行きました」という新聞記事にはない部分をカッコに入れて書いて、ハンギョレ新聞の引用を誤りました。

 しかし、西岡会長はその間違いに気づき、同第2刷(2014年9月5日)でその部分を削除、第3刷(2014年9月10日発行)でもそれを踏襲します。即ち、植村氏が提訴した2015年1月9日の時点ではすでに引用の訂正が終わっていたのです。しかも、植村氏側は訴状では文庫版第1刷(未訂正)を挙げながら、証拠としては文庫版第3刷(訂正済み)の38〜49頁を裁判所に提出していました。問題の記述は45頁にあったので、植村氏側は既に訂正がなされたことを知っていたはずです。

 

 ところが植村氏側の弁護人(穂積氏)は準備書類で主張していなかったこの引用の誤りの件を突然持ち出しながら、自分たちが証拠として提出した第3刷については一切質問しませんでした。

 西岡会長は手元に資料を持つことを許されない尋問で「何か新しい版を出すときに、だから気づいて訂正した記憶があります」と答えただけでした。

 朝日側は西岡会長に非があるように報道しました。特に顕著な例では、『週刊金曜日』(社長は原告である植村氏)の「『朝日』元記者・植村隆裁判で西岡力氏が自らの『捏造』認める」を挙げることが出来ます。

 西岡会長は植村氏側弁護士のこの尋問は、傍聴人らに対して訂正がなされていないかのように印象操作したのではないかと考えています。前回の島田氏の指摘のように、ここでも心象操作が窺えます。

 

 「北野氏の誤認 その2」の内容に関しては、既に西岡会長は詳細を公表しています。

SALTY-日本キリスト者オピニオンサイト
「植村捏造記事裁判、週刊金曜日への反論 -西岡力-」

公益財団法人 国家基本問題研究所 「今週の直言」
「『慰安婦捏造記事裁判』完全勝訴の意義」

 

 書籍名で『朝日新聞の慰安婦報道と裁判』と紹介している以上、上記に記しているサイトの西岡会長の説明を北野氏が見逃していたとすれば、北野氏側の致命的な怠慢です。筆者である北野氏は朝日新聞の人間であり、植村氏寄りの立場です。この時点で、公正中立な第三者が書いた「慰安婦報道に関する裁判の解説本」ではありません。せめて、相手側(ここでは西岡会長)の主張も取り入れて考察しなければ、自分たちに都合が良いように印象操作しているに過ぎません。

 北野氏は「あとがき」にて、自分は慰安婦問題も、覚悟を持って自ら手を挙げたのではなく、担当記者として指名されたとき、「これは逃げてはいけない」と感じて、そのまま今日 まで続けてきたと述べています。

 彼のこの姿勢は称賛に価すると思います。だからこそ、植村氏に「裁判に逃げず、言論人として説明責任を果たせ」と言って欲しいと思います。西岡会長との論戦から逃げ、言論空間に裁判を持ち込んで相手の言論を封殺しようとする植村氏の行動は恥ずべき行為です。

 植村氏の起こした裁判に関しては、今後も歴史認識問題研究会は注視して参ります。

                        (文責:長谷 亮介)