(東京高裁解説)植村氏の「金学順自身も挺身隊という言葉を使っていた」という反論に関して(その3)

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皆様、前回より更新が遅れてしまい、誠に申し訳ございません。

 今回は前回にお知らせしておりました通り、植村氏の「金学順自身も挺身隊という言葉を使っていた」という反論に関して解説を始めたいと思います。

 これは、西岡会長の「植村氏は金学順氏がキーセンに通っていたという事実を紹介せず、『女子挺身隊として日本軍によって無理やり慰安婦にさせられた』という誤った内容を記事にした」という主張に対する植村氏の反論です。

 さらに、植村氏は以下の反論も展開しています。

・当時『読売新聞』や『毎日新聞』、『北海道新聞』なども「女子挺身隊」と書いていた
・金さんがキーセン学校に通っていたことを書かなかったのは『読売新聞』や『産経新聞』も同じであった
             ※『文芸春秋』2015年1月、植村隆「慰安婦問題『捏造記者』と呼ばれて」より

 全てを要約しますと、植村氏は以下のように主張していると思われます。

①金学順氏自らが挺身隊と言っていたので、自身の記事は捏造ではない
②自分一人だけがキーセンのことを書かず、「女子挺身隊」という言葉を使ったのではない
                     ※「キーセン」に関する解説は「その1」に掲載

 

 ①に関しては、『朝日新聞』の記事を紹介して植村氏の主張をより詳細に説明いたします。

 『朝日新聞』は2018年3月24日に「女子挺身隊の名で連行された」と報じたことについて、1991年8月の『北海道新聞』も「(金学順さん自身が)『私は女子挺身隊であった』と切り出した」ことを挙げています。その上で、植村氏の「当時の韓国では、挺身隊という言葉を慰安婦の意味で使っていた。私は間違ったことは書いていない」という主張を掲載しています(註1)。

 即ち、植村氏は、韓国では慰安婦を挺身隊と呼んでいたので、韓国での用例に倣って慰安婦の意味で挺身隊という言葉を使ったと主張しているのです。

  註1 「『捏造』巡り主張対立 慰安婦報道訴訟で本人尋問」(『朝日DIGITAL』2018年3月24日)

 

なぜ植村氏の記事は捏造と判定されたか

 まず明確にしておきたい点は、植村氏は1991年8月11日記事を執筆するにあたって、金学順氏は「だまされて慰安婦にされた」ケースであり、挺身隊の名で戦場に連行された事実はないことを理解していたことです(註2)。

  註2 朝日新聞社「記事を訂正、おわびしご説明します 朝日新聞社慰安婦報道、第三者委報告書」

 

 先程の「韓国では慰安婦を挺身隊と呼んでいたので『朝日新聞』記事でも『女子挺身隊』の言葉を使用した」という反論には腑に落ちない点があります。この理論ならば、記事の全ての言葉を「女子挺身隊」にすれば良いはずです。

 しかし、植村氏の8月11日の記事には「女子挺身隊」と「慰安婦」の両方が使用されています。記事のタイトルは「慰安婦」と書いているにも拘わらず、連行されたという部分では「慰安婦」を「女子挺身隊」という言葉に変えているのです。明らかに、二つの言葉を区別して使用している形跡が見られます。

 補足ですが、東京高裁判決書(p.25)にて、金学順氏の共同会見を取材し、1991年8月15日付けの記事を執筆した『ハンギョレ新聞』の記者は当時においても「挺身隊」と「慰安婦」が明らかに異なることを知っていたため、記事では「挺身隊」ではなく「慰安婦」の語を用いたことが指摘されています。

 

 確かに、韓国では「挺身隊=慰安婦」という誤った認識が一部に存在していたと思われます(※3)。しかし、日本では吉田清治(※4)氏の証言(1982年)から「朝鮮では日本とは異なり女子挺身隊として若い女性を強制連行して慰安婦にさせたケースがあったのではないか」という疑念が生まれていました。その吉田証言を初めて日本で紹介した新聞は『朝日新聞』でしす。しかし、吉田以外そのような証言をする者はなく、証拠となる公文書も、女子挺身隊として強制連行されたという被害者をも確認できなかった為、真実か否か判断しかねていました。

 このような状況で、植村氏が金学順氏の経歴として「女子挺身隊の名で戦場に連行された朝鮮人慰安婦」と記事に書いたことにより、「やはり吉田証言は事実だったのだ」という誤った確信を日本人に与えたのです。現代で言う「フェイクニュース」が日本だけでなく、世界中に流れてしまいました。

  註3 「(慰安婦問題を考える)挺身隊との混同、韓国では 韓国在住の言語心理学者・吉方べき氏に聞く」
     (『朝日DIGITAL』2016年3月18日掲載)

  註4  吉田清治氏は1983年に『私の戦争犯罪』出版し、軍から済州島で「朝鮮人女子挺身隊」を動員せよという
     命令を受けて、済州島で慰安婦狩りを行ったと書いた。吉田氏が同書を出す1年前の1982年9月2日に、『朝
     日新聞』は彼の講演内容を大きく記事にした。そこで朝日は、吉田氏が《朝鮮人慰安婦は皇軍慰問女子挺身
     隊という名で戦場に送り出しました》と語った、と報じていた。日本のマスコミが初めて報じた、「女子挺
     身隊の名で慰安婦を連行した」という誤報記事となる。
     (朝日新聞「慰安婦報道」に対する独立検証委員会『報告書』p.46~47)

 

 植村氏は「当事者に取材せず、確認を疎かにして記事を書いた」と西岡会長を非難しますが、むしろこの言は、1991年8月11日記事を書いた植村氏に当てはまるものです。何度も指摘しますが、当時の金学順氏はキーセンの学校に通い、養父に日本軍の慰安所まで連れて行かれたと証言していました。国家総動員法にもとづく女子挺身隊として日本軍によって無理やり連行され、慰安婦にされたことなど話していません。にも拘らず、植村氏は「キーセン」という言葉を隠し、「日本軍による強制連行」というイメージを読者に植え付けたのです。

 これこそが重要な点であり、植村氏が「金学順氏自身が『私は女子挺身隊であった』と言っていた」と反論しても、「では何故、『女子挺身隊』と『慰安婦』の言葉を使い分け、録音テープにあった『キーセン』のことを省き、日本軍が強制連行したかのような証言内容と全く異なる文章にしたのか」という疑問が解消されません。

 

東京高裁も植村氏反論の不整合性を指摘

 東京高裁も判決書の中で植村氏の反論を次のように批判しています。

(判決書p.24)
控訴人植村氏は、金学順自身が挺身隊であり強制連行されたということを記者会見等で述べていたのであるから、上記訂正をする必要はなかった旨供述している。しかしながら、控訴人が供述するところによっても、せいぜい金学順が「挺身隊」の語を「慰安婦」の意味で用いたこと及び自身が意思に反して慰安婦とされた養父に日本軍の慰安所に連れて行かれたことを「強制連行」等と表現したことがあったというにすぎず、これと「女子挺身隊の名で戦場に連行されて慰安婦にさせられた」のとでは明らかに意味が異なる。控訴人自身、金学順については「暴力的に拉致する類の強制連行ではないと認識していた」というのであり、原告記事A『朝日新聞』1991年8月11日記事では「『だまされて慰安婦にされた』とはっきり書いており、強制連行とは書いていない」とも述べているのであるから、原告記事Aが報道する事実の意味内容と控訴人が認識した事実とが異なっていたことは明らか(中略)。 
 ※[]は筆者註

 

(判決書p.25)
なお、控訴人は、原告記事Aの「連行され」とのリード部分は「強制連行」とは書いておらず、本文中の記載に照らしても「だまされて連れて行かれた」との意味であり強制連行を意味しない旨主張する。しかしながら、リード中の「『女子挺(てい)身隊』の名で戦場に連行され」との表現を一般の読者の普通の注意と読み方を基準として解釈すれば、金学順が日本軍等により「強制的に戦場に連れて行かれた」こと、すなわち権力による強制連行を意味するものというべきであって、このことは、本文中に「だまされて」との一語があることによっても変わりがない。

 

 植村氏は、金学順氏が「(養父に)だまされて慰安婦にされた」ことを理解していながら、記事には「日本軍による強制連行」を想起させるような全く異なる内容を書いたことに対する説明を言論の場で行うべきです。

 

  次に②について反論します。植村氏が金学順氏のことについて問題の記事を書いた1990年代初めの段階では、韓国では「慰安婦」という言葉はほとんど使われず、そのかわりに「挺身隊」あるいは「女子挺身隊」という言葉が使われていました。金学順氏自身も慰安婦という言葉は使わず、女子挺身隊と言っていました。

 確かに、その韓国の言葉使いの影響を受けて、金学順氏のことを挺身隊だと書いた日本人記者はいました。しかし、そのことと植村氏の問題の記事は質的に異なっています。

 植村氏は記事の中で金学順氏のことを「女子挺身隊の名で戦場に連行された元朝鮮人慰安婦」と書きました。ここでは金氏が戦場で従事した職業のことは「慰安婦」と書き、戦場に連行されるときの経過を「女子挺身隊の名で連行」と書いたのです。金氏が戦場に行くときの状況の記述です。しかし、金氏はそのような状況で戦場に行ったとは一度も証言していません。

 

 他の記者らは慰安婦という職業を表す別の言葉として挺身隊と書いただけです。慰安婦と挺身隊は別のものですから、それは言葉の誤用でした。しかし、本人が言ってもいない経歴を勝手に作り上げて書いた、つまり捏造をしたのは植村氏だけなのです。

 

 金氏の証言とは違う内容を、違うと知っていながら記事に書いたことを西岡会長は「捏造」と批判したのです。そして今回裁判所はその西岡会長の主張を真実と認めました。

 現在の日韓友好を破壊している「慰安婦問題」の火付け役を担った者こそが植村氏なのです。彼が書いた記事が捏造だった。それを今回裁判所が認めたのです。植村氏の反論はまったく説得力がありません。

 

次回は植村氏側が新証拠として提出した、1991年11月に録音した金学順氏への聞き取り取材テープの解説を行いたいと思います。

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