(東京高裁解説)植村氏側弁護士の不可解な尋問と西岡会長の反論(その2)

      ※上記写真は「植村裁判を支える市民の会」2020年3月3日掲載分より引用
         http://sasaerukai.blogspot.com/

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皆様

 前回に引き続き、植村隆元朝日記者が訴えた裁判の解説を掲載させて頂きます。

 今回は植村氏が、自身の名誉を棄損したとする西岡会長の過去の記事と西岡会長の反論を紹介いたします。

 

◎植村氏が主張する西岡会長による名誉棄損記事

・『週刊文春』2014年2月6日号に掲載された記事(「“慰安婦捏造”朝日新聞記者がお嬢様女子大教授に」)にて「植
 村記者の記事には『挺身隊の名で戦場に連行され』とあるが、挺身隊とは軍需工場などに勤労動員する組織で慰安婦
 とは全く関係がない。しかも、このとき名乗り出た女性は親に身売りされて慰安婦になったと訴状を書き、韓国紙の
 取材にもそう答えている。植村氏はそうした事実に触れずに強制連行があったかのように記事を書いており、捏造記
 事と言っても過言ではありません」と談話の中で西岡会長が語る。

 

◎植村氏の反論

・金さん自身、当時「私は挺身隊だった」と述べており、私の記事は誤りではない。

・訴状には「親に身売りされた」という記載はない。

 

◎植村氏側の印象操作が疑われる記事

 一連の裁判を巡って、植村氏側は上記の主張を強調するためか、西岡会長に不手際があったかのような報道を行っております。ここに、「『週刊文春』での談話発言」と「『ハンギョレ新聞』の引用間違い」の真相をお伝えします。また、こちらの案件に関しましては、公益財団法人 国家基本問題研究所の「今週の直言」でも西岡会長が言及されています。

 

◆「『週刊文春』での談話発言」と「ハンギョレ新聞の引用間違い」の真相 ◆

(西岡会長の尋問時における植村氏側の弁護士からの質問)

弁護士 :「そう訴状に書いてあるのか。(金氏が「親に身売りされた」と訴状に書いてあるか、の意)」

西岡会長:「記憶違いでした。」

弁護士 :「金さんの記者会見を報じた韓国『ハンギョレ』新聞の記事を著作で引用した際、『私は40円で売られて、
     キーセンの修業を何年かして、その後、日本の軍隊のあるところに行きました』という、元の記事にない文
     章を書き加えていないか。」

西岡会長:「間違いです。後で気づいて訂正しました。」

   ※上記の対話文章は完全なテープ起こしではなく、『週刊金曜日』2018年9月14日号と『朝日新聞』2018年9月
    6日記事が報じた、当時のやりとりの概要です。

 

 上記の様なやり取りがあったことを報道し、西岡会長が「間違い」を認めたかのような文章で説明しました。しかし、これは読者を欺く記述であったことが判明しております。

 

「『週刊文春』での談話発言」の真相

 訴状には身売りに関する直接的表現はありませんが、西岡会長は訴状と韓国紙の文章を読んだ上で、実質「親に身売りされた」と総合的に判断しました。

 

   訴状

    家が貧乏なため、金学順も普通学校を辞め、子守や手伝いなどをしていた。金泰元という人の養女となり、
   一四歳からキーセン学校に三年間通ったが、一九三九年、一七歳(数え)の春、「そこに行けば金儲けができ
   る」と説得され、金学順の同僚で一歳年上の女性(エミ子といった)と共に養父に連れられて中国に渡った。
    (http://www.awf.or.jp/pdf/195-k1.pdf p.51)

 

 西岡会長は金学順氏が韓国の新聞や日本人ジャーナリストのインタビューで、母親にキーセンの検番に身売りされ、検番の主人によって日本軍の慰安所に連れて行かれた事を知っていました。その上で、専門家として当時の朝鮮で貧困家庭の娘が養女となってキーセン学校に通ったということの意味が、親に身売りされたことだと理解していたので、短い談話の中で分かり易く説明をしただけでした。

 

「『ハンギョレ新聞』の引用間違い」の真相

 口述筆記のため、西岡会長はカギ括弧に入るべきでない文章にしてしまいました。

 ⇒金氏が語っていないことを語ったかのような文章にしてしまった

 …提訴の時点で既に西岡会長は該当文章を訂正済み。

 

 『よく分かる慰安婦問題』第1刷(2007年6月28日発行)から「私は40円で売られて、キーセンの修業を何年かして、その後、日本の軍隊のあるところに行きました」という文が引用の中に入ってしまっていました。(それ以前の著書、論文では正しく引用)

 その後、同第2刷(2012年9月28日発行)、同文庫版第1刷り(2012年12月14日)まで引用の誤りが続きます。

 同第2刷(2014年9月5日)でその部分を削除、第3刷(2014年9月10日発行)でもそれを踏襲します。過ちに気づき文庫版は第2刷から訂正しました。

 即ち、植村氏が提訴した201519日の時点ではすでに引用の訂正が終わっていたのです。

 

 しかも、植村氏側は訴状では文庫版第1刷(未訂正)を挙げながら、証拠としては文庫版第3刷(訂正済み)の3849頁を裁判所に提出していました。問題の記述は45頁にあったので、植村氏側は既に訂正がなされたことを知っていたはずです。

 

 ところが反対尋問で植村氏側弁護士は、準備書類で主張していなかったこの引用の誤りの件を突然持ち出しながら、自分たちが証拠として提出した第3刷については一切質問しませんでした。

 西岡会長は手元に資料を持つことを許されない尋問で「何か新しい版を出すときに、だから気づいて訂正した記憶があります」と答えただけでした。

 補足しますと、金氏の「私は40円で売られて」の部分は1993年11月刊行の『証言 強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち』(挺身隊研究会編集、明石書店)に、「キーセンに入った後、日本の軍隊のあるところに行った」は1991年8月14日のソウルでの記者会見で発言されています。

 西岡会長は植村氏側弁護士のこの尋問は、傍聴人らに対して訂正がなされていないかのように印象操作した疑いが濃厚であると考えています。

 

次回は、植村氏の「金学順自身も挺身隊という言葉を使っていた」という反論に関して解説を行いたいと思います。

                                        (文責:長谷 亮介)
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