山本優美子「ILO条約の解釈について 戦時労働は強制労働条約違反なのか?」

報告3

山本優美子(なでしこアクション代表)

 

           ILO条約の解釈について
        戦時労働は強制労働条約違反なのか?

 

 佐渡金山のユネスコ世界遺産登録に反対する側は、朝鮮人戦時労働は国際労働機関(ILO)の強制労働条約違反であったとする。その根拠は、ILOの条約勧告適用専門家委員会(以下委員会)年次報告で日本の条約違反が認定されているからだ、という。だから朝鮮人労働者がいた佐渡金山も強制労働条約違反であり、ユネスコ登録に相応しくないという主張だ。

 委員会年次報告はILO公式サイトのデータベース[1]で閲覧できる。そこで報告に実際には何と書いてあるのか1994年版から2022年版までを調べてみた。

 1996年版で初めて慰安婦が取り上げられ、1999年版で初めて戦時産業強制労働(Wartime industrial forced labour)として中国・韓国からの徴用労働者(conscripted labourers)が取り上げられた。以降、戦時中の慰安婦と産業強制労働の二つの問題がセットになって強制労働条約違反として20年以上扱われている。

 委員会への情報提供は労働団体だ。年次報告の委員会見解には労働団体からの情報が反映されていた。労働団体は「中国・朝鮮人が強制的に働かされ過酷な環境で賃金も払われずに多くが死亡した奴隷労働」という情報を委員会に送っていた。それに対し、日本政府は強制労働や奴隷については反論せず、お詫びと反省の取り組みを説明し続けていた。

 国連で最初にNGOが日本軍慰安婦は強制連行された性奴隷だとして問題に火をつけた時、日本政府は反論しなかった。そのために性奴隷説が広まり、今や国連から世界中に慰安婦性奴隷が広まった。その構図と非常に似ている。

 

  • 強制労働を主張する側 ~ ILO条約違反の根拠 

ILOの条約勧告適用専門家委員会は、1999 年3 月の「年次報告書」で、日本の強制労働条約違反を既に認定して次のように述べている「本委員会はこのような悲惨な条件での、日本の民間企業のための大規模な労働者徴用は、この強制労働条約違反であったと考える」と。 (※下線山本)

・今年2月16日、韓国のソウルで行われた東北アジア歴史財団主催学術セミナー「日本の佐渡鉱山世界遺産登録強行にともなう対応と展望」での発表論文に次の一文がある。[2]

・下線部は1999年版報告のP130にあった。原文「The Committee considers that the massive conscription of labour to work for private industry in Japan under such deplorable conditions was a violation of the Convention.」

・強制労働条約では徴用の労務は条約違反にはならない。「第二条2項 尤モ本条約ニ於テ「強制労働」ト称スルハ左記ヲ包含セザルベシ (a) 純然タル軍事的性質ノ作業ニ対シ強制兵役法ニ依リ強要セラルル労務」[3]

・日本政府は令和3年4月27日の閣議決定[4]で「『募集』、『官斡旋』及び『徴用』による労務については、いずれも同条約上の『強制労働』には該当しないものと考えており、これらを『強制労働』と表現することは、適切ではないと考えている」としている。

・では、なぜ委員会は1999年版報告で取り上げたのか? なぜ強制労働条約違反としたのか? 「このような悲惨な条件under such deplorable conditions」とは何なのか?

 

  • ILOの仕組み ~ 条約勧告適用専門家委員会 と 年次報告 

ILO加盟国 187カ国

「条約」(Convention)190 ⇒ 法的拘束力あり  日本批准条約数49

「勧告」(Recommendation)206 ⇒ 法的拘束力なし

「オブザベーション/ 見解・所見・意見」(observation)⇒ 法的拘束力なし。委員会年次報告で用いられる言葉。委員会のオブサベーションは、国際的に権威のある専門家による審議の結果採択されたものであるため,一定の政治的,社会的重みをもっていると受け止められている。

[※資料1参照。委員会年次報告は図の④]

  • 基準適用監視機構 条約勧告適用専門家委員会[5]

・ILO加盟国の条約・勧告の適用状況を審査する委員会。

・任期3年の20人の委員。様々な国籍の高名な労働法,国際法,国際人権法などの専門家(大学教授,裁判官,実務家)で構成。

・加盟国は,批准した国際労働条約の履行状況を,原則として5年ごと、八つの中核的条約及び四つの主要条約については3年ごとにILO 事務局に報告しなければならない。

2-2. 条約勧告適用専門家委員会 年次報告  

・委員会は,毎年11 月から12 月にかけての約3週間,ジュネーブILO 本部で会合。加盟国政府から提出された膨大な量の報告書及び労使団体から出された意見(コメント)を審査し,批准条約の適用状況について国・条約別に見解(オブザベーション)をにまとめ、2-3月に年次報告を発表する。

・報告は5-6月に開かれる政府労使三者で構成する総会委員会[※資料1図の⑤]の審議資料となる。

厚労省国際課によると

・労働団体は特別な資格や審査はなく労働者の団体であれば意見を出せる

・ILOに送った日本政府からの報告書、労働団体の意見書は省では公開していない。

・日本人委員は日本審査には入らない。

 

3. 年次報告の分析 ~ 労働団体からの情報を反映

 条約勧告適用専門家委員会年次報告1994年版~2022年版にある日本の強制労働条約(第29号 日本批准1932年)適用についての委員会見解の箇所を調べ、慰安婦問題が初めて取り上げられた1996年版から委員会に意見を出した労働団体を表にした。[※資料2]

 報告には委員会の見解の基となった情報・意見を提供した労使団体名、日付とその内容、政府報告の内容と日付も記されている。

3-1. 最初に戦時産業強制労働が取り上げられた1999年版報告の内容

・労働団体からの情報 

  • 全日本造船機械労働組合:韓国から70万人、中国から4万人強制労働に徴用され、鉱山、工場、建設現場で働いた。苛酷な労働環境で多くが亡くなった。日本人と同じ条件ということだったが賃金は少なく、または払われなかった。
  • 東京地方労働組合評議会:1946年外務省報告「華人労務者就労事情調査報告書」によると過酷な労働環境と残忍な扱いで5%から28.6%が死亡したとされる。

・日本政府の見解 

  • 植民地支配によって韓国が受けた損害と苦しみを認め、遺憾と反省を繰り返してきた。
  • 戦争で中国人に与えた深刻な被害を強く意識し表明してきた。
  • 中韓両国との友好に努めてきた。
  • 戦争補償については1965日韓基本条約、1972日中友好条約で法的に解決済。
  • 両国に経済援助を行ってきた。

・委員会の見解 

  • 日本政府は1946年「外務省報告書」の一般的な内容に反論せず、それぞれの政府に援助を行ったと指摘している。
  • 委員会は、このような悲惨な状況下で日本の民間産業のために働く労働の大規模な徴用は、条約に違反したと考える。
  • 政府間の援助だけでは被害者の救済としては適切ではない。
  • 「慰安婦」と同様に、委員会は日本政府に被害者の救済を命じる権限はないが、政府がその行動に対する責任を受け入れ、被害者の期待に応える措置を講じることを望む。
    • 2001年版 以降 

・委員会の見解

  • 補償問題は国際条約(二国間条約、サンフランシスコ条約など)で法的に解決しているとする日本政府の見解は正しい。
  • 委員会は、二国間及び多国間国際条約の法的効力(個人補償)について決める権限はない。
  • 労働団体から多くの情報提供がある。(→取り上げざるを得ない)
  • 裁判の経過など含め、日本政府の対応の情報を求める
  • 長年扱われてきた問題で、今後の会期で取り扱う必要がないことを願う

との見解が繰り返えされる。

・日本政府の説明は最初の1999年度版から同じような内容の繰り返し。委員会の戦時産業強制労働についての認識は変わらず「強制労働条約に反した」のまま。

・労働団体からの情報は、慰安婦も強制労働もネタが尽きることがない。国連での特別報告や人権条約委員会の勧告、日本内で起こった数多くの強制労働裁判と慰安婦裁判、韓国での裁判や大法院判決、日韓合意など、様々な情報が追加されて日本政府批判と共に毎年委員会に出されてきた。。

3-3.1946年外務省報告 「華人労務者就労事情調査報告書」について

 昭和二十一年三月一日外務省管理局作成。華人労務者[6]が働いた日本全国135箇所の工場、鉱山、土建事業所、港湾等の事業所の報告をまとめたもの。全5冊 計648ページ。外務資料館に写しが保管されている。

 報告書要旨篇 より 『 華人労務者が移入時現地諸港より乗船して以来各事業場に於いて就労し送還時本邦諸港より乗船する迄の間生じたる死亡者総数は6,830名にして移入総数38,935名に対し実に17.5%と云う高死亡率を示し居れり 』[7]

 

4. 日本政府の問題 ~ 強制労働に反論せず

・1999年版報告で最初に委員会が問題を取り上げた時の日本政府の説明が間違っていた。「反省してお詫びした。法的に解決済」では、委員会は日本政府が悪いことをしたのだろう、と理解する。強制労働を認めているようなものだ。

・労働団体が情報提供した奴隷のような扱いが本当だったのか。連行して強制的に働かせたのか。当時日本であった朝鮮半島からの徴用、募集、官斡旋とは何か。華人労務者とは何か。それぞれどういう契約があったのか、労働条件・環境はどうだったのか。慰安婦でいえば、そもそも慰安婦とは何か。公娼契約の延長であった慰安婦と慰安所の契約関係はどうだったのか。こういった日本政府側の説明は報告にない。

・委員会は慰安婦も中国人・朝鮮人労働者も強制的に連れてこられて過酷な環境で奴隷のように働かされ、賃金もまともに払われずに多くが亡くなっていたからこそ、強制労働条約違反だとしている。日本政府から反論の情報がなければ委員会はそう理解するしかない。国連の慰安婦性奴隷と同じ構造だ。

・委員会が報告で発しているのはあくまで見解(オブサベーション)。委員会は条約の有権的な解釈を行う権限を有しておらず、また、その見解は加盟国を拘束するものではない。[8]

・報告には、長年扱ってきたもうこれらの問題は繰り返す必要はないという委員会見解もあった。いい加減に終わりにしたいということだろう。日本政府も委員会で扱われる問題ではないとしている。

・基準適用委員会(総会委員会)の三者審議でも日本の戦時強制労働と慰安婦について審議されたことはない。

 

5. まとめ と これから 

最初の疑問について判明したこと

『なぜ委員会は1999年版報告で取り上げたのか?』→『労働団体からの情報があったから』

『なぜ委員会は強制労働条約違反としたのか?』→『日本政府が否定も反論もしなかったから』

『「このような悲惨な条件under such deplorable conditions」とは何なのか?』→ 『強制的に働かされ、約束された賃金が払われず、苛酷な環境で残忍な扱いで多くが亡くなったこと』

・日本政府は民間の研究成果も活用して、強制労働条約違反ではなかったという歴史的事実を資料をもって丁寧に説明すべきだ。委員は法の専門家だ。理解できないはずがない。

・慰安婦について「心からおわびと反省の気持ちを表明」し続けてきた日本政府だが、2019年版報告で初めて韓国の労働団体の意見に対して強制連行を否定した。

『 韓国労働団体FKTUとKCTUの共同見解に対してお応えする。日本政府は1990年代初頭から「慰安婦」問題に関する本格的な事実調査を実施しており、上記の研究で政府が特定できた文書の中で、軍と政府当局による「慰安婦」の「強制連行」は確認できなかったことを指摘する。[9] 』

この反論を問題が提起された最初の時点で主張すべきだった。

・今後も労働団体が委員会に情報・意見を出せば、年次報告で戦時強制労働問題が取り上げられるだろう。佐渡金山の件も韓国の労働団体が出す可能性は否定できない。その時、政府は間違ってもこれまでのように「反省している」などと答えてはいけない。

・ILO担当は厚労省国際課。歴史認識問題については専門外であろう。外務省や民間の研究機関との情報共有、連携の体制があるべきではないか。

 

[1] Reports of the Committee of Experts on the Application of Conventions and Recommendations

1932 ~ 2017年版  http://www.ilo.org/public/libdoc/ilo/P/09661/

2018年版~  https://bit.ly/34ujKqU

[2] 韓国ソウル2022年2月16日/東北アジア歴史財団主催学術セミナー「日本の佐渡鉱山世界遺産登録強行にともなう対応と展望」

発表1「佐渡鉱山世界遺産登録に関する趣旨と経過、最近の動きなどを中心に」(小林 久公 強制動員真相究明ネットワーク 事務局次長)P33-34   https://bit.ly/3q3zAjI

[3] 強制労働ニ関スル条約(第29号) 

https://www.ilo.org/tokyo/standards/list-of-conventions/WCMS_239150/lang–ja/index.htm

[4] 内閣衆質二〇四第九八号  令和三年四月二十七日

衆議院議員馬場伸幸君提出「強制連行」「強制労働」という表現に関する質問に対する答弁書

https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b204098.htm

[5] 条約勧告適用専門家委員会

https://www.ilo.org/tokyo/events-and-meetings/WCMS_423760/lang–ja/index.htm

[6] 「華人労務者内地移入ニ関スル件」 昭和17年11月27日 閣議決定

https://rnavi.ndl.go.jp/politics/entry/bib00428.php

華人労務者とは、当時労働力不足であった日本で日本の企業が中国大陸から雇用した中国人労働者のこと

[7] 「中国人強制連行事件に関する報告書 第3篇 強制連行並びに殉難状況」

(発行:中国殉難者名簿共同作成実行委員会  1961年4月)P340 

[8] 内閣衆質一六九第六一号   平成二十年二月十九日

衆議院議員細川律夫君提出ILO専門家委員会報告に関する質問に対する答弁書

https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b169061.htm

[9] 原文 「条約勧告適用専門家委員会年次報告2019年版」P222

In its response to the joint observations of the FKTU and the KCTU, the Government also indicates that it has conducted a full-scale fact-finding study on the “comfort women” issue since early 1990’s, and that the “forceful taking away” of “comfort women” by the military and government authorities could not be confirmed in any of the documents that the Government was able to identify in the abovementioned study.

 

資料1_通常の監視プロセス

資料2_表_ILO条約勧告適用専門家委員会年次報告まとめ

 

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