<正論>「佐渡の金山」遺産登録の舞台裏(西岡力)

以下の文章は8月21日の産経新聞の「正論」にて掲載された記事となります。

<正論>「佐渡の金山」遺産登録の舞台裏 

麗澤大学特任教授・西岡力

2024/8/21

 佐渡の金山」(新潟県)がユネスコ世界遺産に登録された。韓国も賛成した。

 登録対象は手掘りの独自技術で大量の金を採掘していた江戸時代以前の施設だ。明治以降の施設は西欧の技術が導入されているため対象から外していた。ところが令和4年の申請時に韓国の文在寅政権が朝鮮人「強制労働被害の現場」だとして登録に反対した。

「強制労働」はなかった

 今年6月にユネスコの諮問機関イコモスは採掘が行われた全ての時期を通じた資産に関する歴史の説明や展示戦略を策定し、施設や設備などを整えるよう求めた。いわゆる「フルヒストリー」の展示だ。韓国の働きかけが効果を挙げた結果だ。尹錫悦政権は日韓関係改善を受け登録反対の方針を下ろし、朝鮮人強制労働を含む「フルヒストリー」の展示を求めた。ユネスコ世界遺産委員会には現在、韓国が委員として入っている。

 日韓両国政府は水面下で協議を続けていた。日本は「強制労働」はなかったという立場を貫いた。当時の国際法の基準であるILO条約では戦時労働動員は強制労働に含まれないと規定されており、令和3年4月に菅義偉内閣は「『募集』『官斡旋(あっせん)』及び『徴用』による労務については、いずれも同条約上の『強制労働』には該当していないものと考えており、これらを『強制労働』と表現することは、適切ではない」という閣議決定をしている。

 最終的に日本が①佐渡市の相川郷土博物館で「朝鮮半島出身者を含む鉱山労働者の暮らし」に関する展示(説明パネル3枚、2種の佐渡鉱業所報告書写真パネル22枚)を行う②毎年全ての労働者の追悼行事を現地で行う③登録時の日本政府ステートメントで過去の世界遺産決議に関連する「自らのコミットメントに留意し…朝鮮人労働者を誠実に記憶にとどめつつ…韓国と緊密に協議しながら『佐渡島の金山』の全体の歴史を包括的に扱う説明・展示戦略及び施設を強化すべく引き続き努力していく」と述べることで折り合った。

 平成27年の「明治の産業遺産」登録に際して日本代表は「意思に反して連れて来られ、厳しい環境の下で働かされた(フォース・トウ・ワーク)」と述べた。韓国はそれを「強制労働を認めた」と解釈している。だから韓国は今回、過去のステートメントに留意すると日本が言及することを求めた。日本は合法的な徴用について言及しただけで強制労働は認めていないとの従来の解釈を変えないまま韓国の求めに応じ、今後も展示について韓国との協議を行うと約束した。玉虫色の外交決着だ。

展示はギリギリ事実曲げず

 問題は博物館での展示が歴史的事実を曲げているかどうかだ。日本代表は展示に関し「韓国との見解の相違を友好的に解決する意欲を示すことを目的として、全ての労働者の過酷な労働環境を説明し、その労苦を記憶に留(とど)めるため」とした。歴史認識の違いを解決するという外交上の課題が強調されると、事実を正しく伝えることがおろそかになりかねない。

 この間、私は一次史料に基づく研究の成果として佐渡金山では朝鮮人の強制労働はなかったという見解を主張してきた。その立場からこの展示を評価すると、誤解を与えやすい表現が外交上の配慮の結果、一部入ったが、ギリギリ事実を曲げてはいない、と見る。

 「朝鮮半島出身者を含む労働者の出身地」「相川の鉱山労働者の暮らし」「労働者の戦時中の過酷な労働環境」という3枚の説明パネルは一次史料に基づき記述され、そのどこにも「強制労働」という言葉はない。

 一方で課題もある。「佐渡鉱山で働いた朝鮮半島出身労働者は、削岩、支柱、運搬などの危険な坑内作業に従事した者の割合が高かったことを示す記録が残されている」として1943年5月末の数字が表で示されているが、坑内作業をしていた内地の若い男性の多くが徴兵でいなくなっていたという背景説明がない。朝鮮人差別だとの誤解が生まれる恐れがある。

官民協力し歴史事実を

 また労働条件について、朝鮮半島出身者のある1カ月の平均稼働日数は28日であったとの記録が紹介されている。佐渡鉱業所がつくった「半島人労務者に関する調査報告」が記録の出所だが、そこには平均賃金67円、最高賃金106円、賃金は内地人と差別がなかったという記述もある(当時の東京の公立小学校教員初任給は月50~60円)。それも紹介して、出来高制賃金のため稼働が増えれば賃金は上がるという説明をすればより理解が深まったはずだ。

 ただし、この調査報告は全文が一次史料として写真パネルで展示され、それを読めば実態は理解できる。一次史料を紹介し、解釈は見る人に任せるという姿勢が展示には貫かれている。その点でギリギリ土俵を踏み越えてはいない。

 これからは佐渡金山を含む全ての朝鮮人戦時動員では強制連行、強制労働はなかったという歴史的事実を広報していく活動を官民が協力して行っていくべきだ。

(にしおか つとむ)