皆様
2024年1月3日に韓国でラムザイヤー教授の書籍が出版されました。韓国語版のタイトルは『ハーバード大学教授が語る慰安婦問題の真実:太平洋戦争における売春契約』となっており、慰安婦は日本軍に強制連行された性奴隷ではないことを考証しています。
韓国の延世大学で柳錫春(リュ・ソクチュン)教授が2021年の講義で「慰安婦は自意半分、他意半分」で売春業に従事せざるを得なかったという意見を提示しました。柳教授は学術的な根拠に基づいて説明しましたが、韓国の検察は元慰安婦たちの名誉を棄損する発言であるとして柳教授を起訴しました。もし、柳教授が有罪判決を受けることになれば、韓国では学問の自由がなくなることを意味します。
ラムザイヤー教授は政治的な理由で学問の自由が侵害されることを深く憂慮し、序文で次のように述べています。
『ハーバード大学教授が語る慰安婦問題の真実:太平洋戦争における売春契約』序文
ジョージ・オーウェル(George Orwell)は「自もし自由に意味があるとするとすれば、それは相手が聞きたくないことを告げる権利のことだろう」と言ったことがあります。
他人が許した範囲でのみ発言できるのは自由ではなく、他人が聞きたくない発言もできる権利が保障されなければ、自由民主主義は繁栄することはできません。他の人々、つまり権力を持つ者たちが反対する立場も開陳できる権利が与えられてこそ初めて、表現の自由が保障され、これらの権利が自由民主主義につながるのです。
私たち学者にとって、表現の自由と権利は特に重要です。学者である私は、学生を教え文章を書くことを本業としており、ほとんどの場合、日本の問題について書いています。ロースクールの教授である私は、主に日本の法律について研究し、執筆しています。日本の法と法制度がどのように機能しているのか、もしそれらが私たちが思っているように機能していないのであれば、なぜ予想通りに動かないのかを研究します。
しかし、もし政治的な理由で特定の結論を排除するとしたら、私たち学者は研究をすることができなくなります。学者としての私たちの任務は、証拠と論理をもとに何らかの結論を引き出すことだからです。 実は、私たちが行っているほとんどの研究は、政治的な影響力を持ちません。 謙遜するつもりではなく、実際に学者として私たちがそれほど影響力を発揮する研究を行うことは稀だということです。もちろん、私たち学者も時には深刻な政治的波紋を巻き起こすようなテーマを扱うこともあります。 その場合、私たちが導き出した結論の一部は、ある集団にとっては政治的に有利に働くでしょうが、別の集団にとっては不都合に感じることもあるでしょう。
しかし、少なくとも学者自身が学者としての正しい道理に従っているのであれば、政治はどうであれ、私たち学者とは無関係なことです。私たちの任務は、まず証拠と論理を追って、そのような要素が導くところにただ進むだけです。開かれた社会では、そのように導き出された結論を自由に表現することができなければなりません。学界では、ある学者が他の学者の主張が間違っていると思う場合、その理由を説明する機会を与えます。学問とは、研究の後に続く議論と討論を通じて進歩する過程です。その過程は決して終わりがありません。これを通じて新しい証拠が発見され、新しい考察が提起されることもあるからです。したがって、学問的過程は常にオープンでなければなりません。
慰安婦の歴史はまさにそのような論争的な分野の一つです。 この学問の分野には膨大な量の歴史的記録が存在します。例えば、数多くの元慰安婦の証言などがそうです。ただ、時には歴史的史料と証言が矛盾することもあります。 その場合、私のような学者はもちろん、一般大衆も双方の立場を比較して正確な判断を下さなければなりません。
このような状況は特殊なものでも新しいことでもありません。歴史的に重要な問題で証拠が互いに相違する場合はしばしば現れるからです。このような場合、学者は関連する証拠を綿密に調査し、何らかの結論に達した後、自らの論理でこの問題を説明しなければなりません。そして、読者も証拠と論理を自分自身で検討し、独自の結論に達しなければなりません。学界がその機能を果たすためには、いかなる結論も最初から排除されてはなりません。
自由民主主義において表現の自由、そして言論の自由は、すべての人に不可欠な権利です。自由民主主義という制度は、学者であろうと非専門家であろうと、国民の一員として集団的な意思決定に参加するよう求められます。ここで合理的な決定を下すために、私たちは私たちが生きている世界について正しく理解する必要があります。そして、この世界を正しく理解するためには、対話が不可欠です。したがって、もし何らかの表現や考えがその発信源から禁止されると、私たちは合理的な決定を下すことができなくなります。私たちが出した結論がしばしば政治的な影響力を持つことになるかもしれません。そのような状況において、一部の人々は私たちの意見表明を阻止しようとするかもしれません。逆に、私たち自身も他人の意見表明を阻止したくなることもあるでしょう。
しかし、自由と民主主義のためには、私たち全員が国民の一員として、言論を制限しようとする衝動と戦わなければなりません。ここで、冒頭で紹介したジョージ・オーウェルの原則が非常に重要になります。民主主義の本質は結局自由にあり、自由の本質は発言の権利にあります。つまり、それは他人が反対する発言をすることができる権利なのです。
ジョン・マーク・ラムザイヤーJohn Mark Ramseyer
ハーバード大学教授が語る慰安婦問題の真実 序文 日本語版
ハーバード大学教授が語る慰安婦問題の真実 序文 英語版
ラムザイヤー教授は本書の印税を放棄し、柳錫春教授の裁判のために役立てて欲しいと仰っています。裁判の第1審判決は1月24日に下される予定です。歴史認識問題研究会も微力ながら柳教授やラムザイヤー教授と協力し、歴史の事実を発信してまいります。
※日本でも昨年12月にラムザイヤー教授の書籍が出版されています。