慰安婦問題に関するラムザイヤー教授論文撤回を求める経済学者声明の事実関係の誤りについて
西岡力(歴史認識問題研究会会長、麗澤大学客員教授、モラロジー研究所教授)
ハーバード大学のマーク・ラムザイヤー教授が書いた戦時中の慰安婦に関する学術論文 「太平洋戦争における性サービスの契約」(以下、論文とする)が激しく批判されている。批判の多くは学問の自由を認めず、 論文撤回を求める過激な内容だ。
カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)政治学部の学部長マイケル・チェ教授が起草した経済学者による論文撤回を求める声明(以下声明とする)は3月5日現在、3千人を超える署名者を集めている(Letter by Concerned Economists Regarding “Contracting for Sex in the Pacific War” in the International Review of Law and Economics)。
慰安婦婦問題について30年間の激しい論争を行ってきた日本の学者から見ると、その批判には多くの事実関係の誤りや歪んだ資料の扱いが含まれている。
ここでは、経済学者の声明に含まれる基礎的な事実関係の誤りを示し、性奴隷説以外の学説を許さないとする批判者の慰安婦問題理解がいかにいいかげんなものかを示したい。
性奴隷説に立つにせよ公娼説に立つにせよ、求められるのは学術的討論であって、多数の力で論文撤回を求めることではないと強調したい。
1 10歳の日本人少女おさきに関する記述について
声明は前書き部分で、論文が10歳の日本人少女が自分の意志で海外で売春業に就くことに同意したと書いていることについて、「論文は10歳の子どもが性労働者になることに同意できると主張している」と次のように激しく批判した。
第二次世界大戦中、多くは10代の若い女性や少女が日本軍の設置したいわゆる「慰安所」で性的労働を行うという契約を自発的に結んだとして、論文はおさきという10歳の日本人少女について一節を書き、「おさきが10歳になったとき、募集業者が立ち寄って、彼女が外国へ行くことに同意するなら前もって300円出すと提案した。募集業者は彼女を引っ掛けようとはしなかった。10歳とはいえ、彼女は仕事の内容を知っていた」(p.4)。しかし,売春宿の主人は実際におさきを欺いたのであり,論文の通りの状況であったとしても,論文は10歳の子どもが性労働者になることに同意できると主張している。
また、声明は結論部分で、論文に対して「10歳の少女が性労働者として働くことに同意できると主張する論文」と決めつけた。
我々の職業に入ってくることを目指す若い学者たちは、政府が支援する性的
強制システムの存在を否定し、10歳の少女が性労働者として働くことに同意
できると主張する論文が、学術的経済誌に掲載された事実に、大いに困惑す
るだろう。
しかし、ここで引用されていることは、明治期に九州の貧困家庭の娘が東南アジアで売春婦として働いて家族の生活を支えた「からゆき」と呼ばれていた、日本では有名な歴史的事実だ。論文はこの問題を女性の人権の立場から深く研究していた山崎朋子の代表作『サンダカン八番娼館』からこの事例をとっている。
当時の日本で女性の人権が守られていなかったことは事実だ。現在の価値観では当然、10歳の少女と売春婦になる契約を結ぶこと自体倫理に反するだろう。論文はそのような価値判断をしているのではなく、明治期の日本でそのような少女の人権侵害があったという事実を書いているだけだ。
学者が事実を論文に書くことが「倫理に反する」「残虐行為を正当化」だとする声明の批判は、事実記述と価値判断を混同した的外れの批判だ。
2 慰安婦は性奴隷だとする記述について
声明は、慰安婦は日本軍に強制された性奴隷だと断定している。
「慰安婦」は、第二次世界大戦中に大日本帝国陸軍が性奴隷になることを強
制した若い女性や少女の婉曲表現だ。性奴隷である証拠は女性たち自身の証
言や説明、学界の先行研究から十分に裏付けられている。
しかし、性奴隷説は学界の一つの説に過ぎない。日韓の学界では性奴隷説を否定する公娼説に立つ学者も多数存在する。声明は性奴隷説の根拠である先行研究として吉見義明氏の著書『Comfort Women: Sexual Slavery in the Japanese Military During World War II』を挙げている。しかし、日本の学界では吉見氏と並んで秦郁彦氏の『慰安婦と戦場の性』がこの問題の権威ある研究書とされている。その中で秦氏は性奴隷説を否定し公娼説を主張している。公娼説を唱える学者は、秦郁彦氏以外にも筆者を含め多数存在する。韓国でも「反日種族主義」の著者である李栄薫・前ソウル大学教授や李宇衍博士など有力な実証主義経済史学者らが公娼説に立っている。
日本政府も性奴隷という表現は「事実に反する」と次のように明確に否定している。
「性奴隷」という表現は、事実に反するので使用すべきでない。この点は、
2015年12月の日韓合意の際に韓国側とも確認しており、同合意においても
一切使われていない。
(日本外務省ホームページ https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000472256.pdf)
性奴隷説だけを学界の定説として、それ以外の説の存在を認めようとしない声明の姿勢は学問の自由に反すると言わざるを得ない。
3 慰安婦の年齢の間違い
声明には、慰安婦の年齢について「11歳から20歳まで」という信じられないことを書いている。
[性奴隷になることを強要された]ほとんどが11歳から20歳までの年齢だった
若い女性や少女たちは、韓国、中国、日本、台湾、フィリピン、インドネシア
、オランダなどの出身である。
声明はこの根拠として、16人の米国、中国、韓国人学者らの論文批判声明を挙げているが、その声明でも慰安婦の年齢が11歳から20歳であったという根拠は示されていない。当時の公娼制度下では日本内地では18歳以上、朝鮮では17歳以上でないと公娼となることはできなかった。慰安婦の場合も基本的にはこの年齢制限が踏襲されていた。当時の朝鮮新聞に出された慰安婦募集の広告には、「17歳以上23歳まで」(『京城日報』(1944年7月26日付)、「18歳以上30歳以内」(『毎日新報』(1944年10月27日付)とされ、17歳以上という制限があったことがわかる。
ビルマで米軍に保護された朝鮮人慰安婦は米軍の尋問に対して、朝鮮人慰安婦の平均年齢は25歳くらいと答えている。また保護された20人の年齢を見ると、19歳1人が一番若く、20歳3人、21歳7人、22歳1人、25歳2人、26歳2人、27歳2人、28歳1人、31歳1人だ。
ただし、16歳の朝鮮人慰安婦がいたことは分かっている。本人が出生届を遅く出したので実際は16歳ではなく18歳だと主張して営業許可を得たケースが、山田清吉『支那軍派遣慰安婦係長の手記武漢兵站』図書出版社、1978年、100頁に出てくる。
以上見たように、11歳の慰安婦の存在を証明する証拠はない。当時、日本では女性は15歳から結婚が可能だった。そのような当時の感覚からしても11歳は子供であって、性の対象ではない。11歳の少女を慰安婦にしたなどと言う声明の主張は日本に対する重大な名誉毀損と言える。
4 軍による強制連行はなかった
声明は、日本軍が彼女らに性奴隷になることを強制した、憲兵の監視下で軍の艦船で慰安所まで移送した、と書いた。
第二次世界大戦中に大日本帝国陸軍が性奴隷になることを強制した戦前と戦中
に日本が占領した国や地域の何百もの「慰安所」に、日本軍の艦船が憲兵隊の
監督の下、彼女たちを運んだ。歴史的証拠は,募集方法には拉致,詐欺,脅迫
,暴力が含まれていたことを示唆している。
朝鮮人慰安婦は業者に連れられて慰安所に移動した。その際、通常は汽車や民間の輸送船が使われた。特別な場合、軍属扱いで軍の艦船に乗ったこともあったが、それは便宜供与の次元で行われたもので、憲兵の監視下で連行したものではない。
日本政府も官憲による強制連行を「史実に基づくとは言いがたい主張」として、「これまでに日本政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述は見当たらなかった。」と否定している(前掲外務省ホームページ)。
声明が「歴史的証拠」としてあげた前掲書の著者吉見義明氏も朝鮮半島における軍による強制連行はなかったと認めている(吉見他著『「従軍慰安婦」をめぐる30のウソと真実』大月書店、1997年、27頁)。
募集は民間業者が行い、その過程で「拉致,詐欺,脅迫,暴力」が含まれる犯罪行為が存在したことは事実だが、当時の官憲はそのような犯罪行為を取り締まっていた。
中国の漢口慰安所軍医だった長沢健一は、業者にだまされて連れてこられた朝鮮人女性が兵站司令部との面接で慰安婦になることを拒否したので、司令部が慰安婦としての就業を禁止して他の職業の斡旋を業者に命じたというケースを紹介している。悪徳業者の就業詐欺を戦地の軍も取り締まっていたことが分かる。
[昭和十九年]九月に入って、業者らは慰安婦の減少を理由に補充を申請した
ので、[漢口兵站司令部武昌支部]は許可した。十月、京漢線を経由して、朝
鮮から二人の朝鮮人に引率された三十人あまりの女が到着した。どういう人間
がどのような手段で募集したのか、支部の知るところではないが、そのうちの
一人が、陸軍将校の集会所である偕行社に勤める約束で来たので、慰安婦と知
らなかったと泣き出し、就業を拒否した。支部長は、業者に対しその女の就業
を禁じ、適当な職業の斡旋を命じた。おそらく、ぜげんに類する人間が、甘言
をもって募集したものであったのだろう。
(長沢健一『漢口慰安所』図書出版社、1983年、221頁)
5 慰安所でレイプ、拷問などがくり返されていたという虚偽
声明は慰安所における慰安婦の生活を過激な表現を使って描写している。
「慰安所」内では,女性は継続的レイプ,強制中絶,肉体的拷問,性病にさら
されており
慰安所で朝鮮人慰安婦は公娼として対価を得ていた。朝鮮人業者が経営する民間の娼家では奴隷のように酷使される例があった。しかし、軍の管理する公娼である慰安所では、軍が厳しく業者の搾取や迫害を取り締まっていたので、そのようなことは許されなかった。早期に前借金を返し、その後、余裕のある生活を送り、多額の資金を貯めて帰国する者もいた。
中国の漢口慰安所では、借金がある者は売り上げのうち業者が6割をとりそこから慰安婦の食費と医療費を負担し、慰安婦が4割をとりそれを全額返済に回していた。借金を返すと業者5割、慰安婦5割の配分になって慰安婦はかなり多額の収入を得ていた。朝鮮銀行漢口支店に3万円の預金をしていた朝鮮人慰安婦や「借金を皆済するとあらためて借金をして、それを朝鮮の故郷に送金して、田畑を買うのを楽しみしている」朝鮮人慰安婦がいたという。(長沢前掲書64〜65頁)。
6 75%死亡説はでたらめ
声明は慰安所で朝鮮人慰安婦の75%が死亡したと書いている。
およそ75%がこの経験が原因で死亡したと推定されている
その根拠として、アジア女性基金のホームページ「デジタル記念館慰安婦問題とアジア女性基金」の中の「慰安所と慰安婦の数」というページを挙げている。
ところが、そのページでは、75%死亡説を事実ではないと否定しているのだ。そこでは、国連人権委員会マイノリティ差別防止・保護小委員会特別報告者ゲイ・マクドゥーガル氏の報告書のなかに75%死亡説があることが記載されてはいるが、その唯一の根拠とされている日本の国会議員の発言を「勝手にならべた数字」だと否定して、75%死亡説を明確に否定している。
この重大な事実誤認だけでも声明は学術的に失格といってもよいだろう。少し長くなるが、アジア女性基金のホームページの該当箇所を引用しておく。
1998年6月22日、国連人権委員会マイノリティ差別防止・保護小委員会特別報告
者ゲイ・マクドゥーガル氏は同小委員会に報告「奴隷制の現代的形態―軍事衝
突の間における組織的強姦、性的奴隷制、及び奴隷制的慣行」を提出しました
が、それに付録として報告「第二次大戦中の慰安所にたいする日本政府の法的
責任についての分析」が付されました。その中で、氏は次のように述べていま
す。
「日本政府と日本軍は1932年から45年の間に全アジアのレイプ・センター rap
e centresでの性奴隷制を20万以上の女性に強制した。」
「これらの女性の25パーセントしかこのような日常的虐待に堪えて生き残れな
かったと言われる。」
根拠としてあげられたのは、第二次大戦中に「14万5000人の朝鮮人性奴隷」が
死んだという日本の自民党国会議員荒船清十郎氏の「1975年(ママ)の声明」
です。
荒船清十郎氏の声明とは、彼が1965年11月20日に選挙区の集会(秩父郡市軍恩
連盟招待会)で行った次のような発言のことです。
「戦争中朝鮮の人達もお前達は日本人になったのだからといって貯金をさせて
1100億になったがこれが終戦でフイになってしまった。それを返してくれと言
って来ていた。それから36年間統治している間に日本の役人が持って来た朝鮮
の宝物を返してくれと言って来ている。徴用工に戦争中連れて来て成績がよい
ので兵隊にして使ったが、この人の中で57万6000人死んでいる。それから朝鮮
の慰安婦が14万2000人死んでいる。日本の軍人がやり殺してしまったのだ。合
計90万人も犠牲者になっているが何とか恩給でも出してくれと言ってきた。最
初これらの賠償として50億ドルと言って来たが、だんだんまけさせて今では3億
ドルにまけて手を打とうと言ってきた。」
日韓条約締結時に韓国側は、韓国人労務者、軍人軍属の合計は103万2684人で
あり、うち負傷ないし死亡したのは10万2603人だと指摘しました。慰安婦のこ
とは一切持ち出していません。ですから、荒船発言の数字はすべて荒船氏が勝
手にならべた数字なのです。国連機関の委嘱を受けた責任ある特別報告者マク
ドゥーガル女史がこのような発言に依拠したことは残念です。
7 河野談話の誤読
声明は河野談話の次のように数節を引用して、あたかも日本政府が強制連行説、性奴隷説を認めたかのように書いている。しかし、それは誤読である。
最も重要なことは、1993年の河野談話で、これらの若い女性や少女は「本人た
ちの意思に反して集められた」「慰安所における生活は、強制的な状況の下で
の痛ましいものであった」「慰安婦の募集については(略)官憲等が直接これ
に加担したこともあった」ことを認めたことである。 この確定された事実は、
国連、アムネスティ、米国下院によってさらに確認されている。
ここで引用されている部分は次のような河野談話の文章から抜き取られている。
慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが
、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例
が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らか
になった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいもの
であった。なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とす
れば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島はわが国の統治
下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たち
の意思に反して行われた。
声明は募集の主体の部分を削除して引用しているが、河野談話では募集の主体は軍ではなく業者だと明記している。ここで「本人たちの意思に反して」とされている部分は、元慰安婦らが慰安婦になりたくてなったのではないと証言していたことを踏まえて本人たちの主観的思いを描写したものだ。
また、「慰安婦の募集については(略)官憲等が直接加担したこともあった」という部分は、朝鮮での出来事を指すのではなく、インドネシアでオランダ人捕虜を数ヶ月慰安婦にした事件を指している。2007年3月19日、(自民党)日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会(中川昭一会長)の会合で、東良信[ひがしよしのぶ]内閣外政審議室審議官が私の質問に対してそのように回答している(日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会編『歴史教科書への疑問』展転社、1997年、147〜153頁)
だから、朝鮮半島における募集について述べた次の段落では「その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた」とだけされて、「官憲の加担」という表現は使われていない。
慰安所の生活に関する表現は、現在の価値観からして戦地で日本軍のために公娼として働いたことの悲惨さを指している。現在の日本では親の借金の未成年の娘に売春をさせて返済させることは重大な人権侵害であり許されない。しかし、この表現が当時合法であった戦地での公娼制度を、性奴隷、レイプ、拷問、75%死亡などだったと認めたものでは決してない。
8 2015年の日本研究者公開書簡への日本人学者の反論を無視
声明は2015年の米国の日本研究者公開書簡を引用して、それが学界の共通認識であるかのように主張している。
約200人の日本を研究する学者が2015年に署名した公開書簡は言う。「歴史家
の中には、日本軍が直接関与していた度合いについて、女性が「強制的」に
「慰安婦」になったのかどうかという問題について、異論を唱える方も いま
す。しかし、大勢の女性が自己の意思に反して拘束され、恐ろしい暴力にさら
されたことは、既に資料と証言が明らかにしている通りです」。
[書簡の公式訳文に従った]
しかし、この米国学者の公開書簡に対しては、私を含む日本の学者110人が反論の書簡を公開している。そこで日本の学者はこう主張した。
米学者らが慰安婦制度を軍隊にまつわる売春とみているのであれば、私たちの
認識と変わりません。日本軍は戦場でレイプ事件など性的暴力を防ぎ、性病の
蔓延を防ぐため、自国と当時の自国領であった朝鮮などから業者が慰安婦を連
れてくることを許可し、便宜を与えました。満州やドイツなどで敗戦国民の婦
女子をレイプすることを許したソ連軍、占領下の日本政府が用意した日本人女
性を売春婦として利用した米軍、同盟国米軍のために自国民の女性を売春婦と
して働かせた韓国に比べてどこが特筆すべきか議論されるべきでしょう。
http://harc.tokyo/?p=1904
米国学者書簡が慰安婦に関する学界の唯一の説ではない。異なる学説があるのだ。
9 慰安婦と業者の契約の証拠について
声明は論文が契約関係で慰安婦を捉えながら、肝心の慰安婦と業者が結んだ契約の証拠示していないと批判する。
日本軍による女性の奴隷化をあえて「契約」の問題として捉えることにより、
著者は「慰安所」に所属する女性の間において自発的な契約関係が一般的かつ
代表的であったという点が事の本質を成すと主張する。この仮定がモデルの中
心であるにもかかわらず、論文はこれを正当化する証拠を何ら示さない。同論
文における最も関連する証拠は、日本で営業許可を得た売春宿に関するもの
だ。
しかし、論文は日本業者が日本人慰安婦募集にあたって準備した契約書や親の承諾書のひな形(日本・国立公文書館所蔵「支那渡航婦女ノ取扱ニ関スル件」)を証拠として示している。
朝鮮人慰安婦の契約もこれに準ずるものと考えた論文の分析は妥当だと言える。ところが、声明や他の批判者らは朝鮮人慰安婦の契約書がないことを問題にし続けている。
朝鮮人慰安婦は文字が読めない者が多かった。だから、書面での契約書ではなく口頭での契約が主だったと思われる。それを利用して朝鮮人業者が民間の売春宿で働く朝鮮人女性を搾取していた事例はあった。
軍が管理する公娼制度である慰安所では、きちんと帳簿を作り借金を早く返せるように軍が管理していた。だから、むしろ民間の売春宿より待遇は良かった。
前掲の慰安所軍医長沢はこう書いている。
朝鮮人業者の中には、ひどい例もあった。証文も何も、書類らしきものは一切
なく、貧農の娘たちを人買い同然に買い集めて働かせ、奴隷同様に使い捨てに
する。これでは死ぬまで自由を得る望みはないのだが、女たち自身も、そうし
た境涯に対する自覚は持っていないようであった。
藤沢軍医は業者が女に支払った金に、雑費を加えて借用証を作らせ、女たちが
働きさえすれば借金を皆済し、自由な身の上になれるようにした。業者は女の
借金を増すために、旅費とか衣装代を上乗せしたが、旅費は無料だし、ペラペ
ラの安物の人絹の衣装に法外な価格をつけたりするのを是正した。
(長沢前掲書63〜64頁)
軍が契約関係をきちんと整理させ、朝鮮人慰安婦を悪徳業者から守っていたことが分かる。契約書はなくとも、契約関係は存在していたのだ。
10 慰安婦が同意していたという前提について
声明は論文が未成年の朝鮮女性が慰安婦になることに同意していたと書いていることを批判する。
論文は7ページで単に「女性たちは同意した」と書いている。仮に自発的合意
の事例が存在していたとしても(その点に関し論文は信頼に足る証拠を示して
いない)、この包括的な主張には根拠がない。 実際、おさきの例は反対方向を
示唆している。 日本では1896年以降,民法上、20歳未満の者は契約の当事者に
なりえなかった。まともな法学者で、この事例を同意の証拠と見なすものはい
ないだろう。
20歳未満の女性を慰安婦にするときには必ず親の同意書が必要だった。それがなければ軍は慰安婦としての就業を許可しなかった。これが、民法の定める「20歳未満の者は自力で契約を結ぶことができなかった」ことの結果だ。業者が親に前渡し金を支払うとき、同意書への署名と戸籍謄本を求めたのもそのためだ。前渡し金と同意書の交換こそが契約があった証拠だ。
当時の朝鮮では女子は父親に無条件に従うことが求められていた。それが伝統であり、大多数の朝鮮の女子はそれを当然のこととして受け入れていた。だから、父親が娘を慰安婦にする代わりに大金を受け取ることが当然のこととされていた。現在の倫理でそれを評価することと、当時、何が行われていたかを考察することは全く次元の異なる問題だ。論文は後者を学術的に行っただけだ。
11 日本軍に強制連行されたとする元慰安婦証言について
声明では、同意に基づいて慰安婦になったのではなく、日本軍により慰安婦になることを強制されたということを証明するため、韓国人文玉珠氏と北朝鮮人チョンオクスン氏、中国人Yuan Zhulin氏の3人の元慰安婦の証言を取り上げた。
歴史学である証言を歴史的事実の根拠に採用するためには、少なくともそれを裏付ける別の証拠が必要だ。特に、証言者が慰安婦にされたことに対しての金銭的な補償・賠償を求めている場合は、利害関係者になるからより慎重に証言の裏付けを確認する作業が必要になる。ところが声明はそのような学問的手続きを踏まずに証言だけで日本軍による強制連行という歴史的事実を確定しようとしている。
すでに私を含む多くの学者によって元慰安婦の証言については学問的検証がかなりなされている。文氏は早い時期に検証がなされた1人だ。彼女は1992年に日本政府にたいして損害賠償を求める訴訟を起こした。その訴状では、食堂の仕事と業者にだまされてビルマに行って慰安婦になったことは記載しているが、声明が引用した満州に日本軍人に強制連行された経験については全く書いていない。訴状は自分に有利になるように書くものだ。その上、文氏のライフストーリーを長時間かけて聞き取りをし、裏付け資料の調査を徹底的に行った日本人研究者によると、ビルマでの体験については日本軍の多数の資料によって裏付けがとれているが、満州での体験については裏付けがとれていない(森川 万智子『文玉珠―ビルマ戦線 楯師団の「慰安婦」だった私』梨の木舎、1996年、211頁)。
文氏らが裁判を起こしたとき、私を含む何人かの日本人学者が、原告は軍による強制連行の被害者ではないと指摘した。声明が引用したのはその指摘後に出た挺対協の「証言集1」だが、そのころから原告のうち二人、すなわち最初に名乗り出た金学順氏と文氏が、訴状にはない強制連行の体験を語り始めた(拙著『増補新版よくわかる慰安婦問題』草思社文庫、2012年)。
なお、声明は文氏について「『最も派手にうまくやった』と論文が主張する文玉洙は、実際には戦時中もそれ以後も、1993年の時点においてさえ、自身の報酬を回収することができなかった」と書いて論文を批判した。しかし、文氏はビルマでの慰安婦生活によって多額の報酬を得て故郷の家族に5千円送金し、現地で2万6千円貯金していたことで日本では有名だ。彼女は預金通帳を紛失してしまったため、韓国政府が日本から受け取った請求権資金3億ドルで行った預金への補償を受けられなかった。彼女は93年に日本で預金を返せという訴訟を起こしたが、日韓請求権協定と日本の国内法により彼女の預金は消滅しているとして敗訴した。
北朝鮮人元慰安婦チョンオクスン氏の証言は、国連人権委員会調査官であったクマラスワミ氏に北朝鮮政府が書面で提出したものだが、あまりに突飛な内容であるため日本の学界では当初からその信ぴょう性が疑われており、その後、証言を裏付ける証拠は一切出ていない。中国人慰安婦Yuan Zhulin氏もその証言を裏付ける証拠がないのだ。
結論
以上11の点について声明が主張する事実関係の誤りを具体的に指摘した。ただし、私は間違いが多いことを理由に声明全体の撤回を求めることはしない。声明の起草者らとの学術的討論を求めたい。そして声明起草者と賛同者に、強く求めるのはラムザイヤー教授論文への撤回要求を直ちに取り下げることだ。学問の自由の枠の中で慰安婦に関する学術的論争をおおいに交わそうではないか。私の以上の声明批判に対してもぜひ再反論を頂きたい。