1 経歴
私は韓国・北朝鮮地域研究者である。
国際基督教大学在学時の交換留学生として1977年から78年にかけて韓国・延世大学国際学科に留学し、帰国後、筑波大学大学院地域研究科で韓国・北朝鮮研究を専攻した。
1982年から84年まで外務省専門調査員として韓国ソウルにある在韓日本大使館に勤務した。84年から韓国・北朝鮮研究の専門機関である現代コリア研究所の主任研究員となり研究を続け、90年からは同研究所の機関誌「現代コリア」の編集長を兼ねた。91年4月に東京基督教大学の専任講師となり、助教授を経て教授として2017年3月まで勤務した。
現在は、公益財団法人モラロジー研究所教授・歴史研究室長で麗澤大学客員教授として研究を続けている。
1991年から慰安婦問題の研究を開始し、現在に至るまで同問題について多数の著作を発表し、テレビや新聞などでも発言を続けている。朝日新聞が1991年に吉田清治氏の証言や元慰安婦の証言を使って「女子挺身隊として朝鮮人女性を強制連行して慰安婦として働かせた」という誤報をしたことを1992年から指摘し続けてきた。朝日新聞が2015年に慰安婦報道に関する誤報を認め謝罪したが、それには私からのそれまでの批判に答えるという意味があった。フジ・サンケイグループは私の慰安婦問題での言論活動を理由の1つとして2016年に「第30回正論大賞」を授与した。
以下、慰安婦問題を25年以上研究してきた立場から意見を陳述する。
2 一審判決における事実認定上の問題点
一審判決23ページに以下の記述がある。
≪①クマラスワミ報告における慰安婦の強制連行に係わる記述は、吉田証言が唯一の根拠ではなく、元慰安婦からの聞き取り調査もその根拠であること、②さらに、クマラスワミ氏自身、吉田証言はクマラスワミ報告の証拠のうちの一つに過ぎず、元慰安婦への聞き取り調査を根拠に日本軍が雇った民間業者が誘拐した事例があったと認定しているから、被告が吉田証言に係わる記事を取り消したとしても同報告内容を修正する必要はないとの考え方を示していること、③米国下院決議121号の決議案の説明資料には吉田の著書は用いられていないこと、(略)が認められる。≫(①〜③は便宜上西岡が挿入)
判決はここで挙げられている事項を事実と認定して、それらを前提に原告主張について検討している。
私は慰安婦問題研究者の立場からここで挙げられている①から③について、順次判決における事実認定のおかしさを指摘する。
3 強制連行説Ⅰ(挺身隊の名による連行)について
①≪クマラスワミ報告における慰安婦の強制連行に係わる記述は、吉田証言が唯一の根拠ではなく、元慰安婦からの聞き取り調査もその根拠であること≫の部分について検討する。
クマラスワミ報告の慰安婦の強制連行に係わる記述を確認したい。
クマラスワミ報告書は「第二章 歴史的背景 A.総論」(報告書の項目番号14〜16)と「第二章 歴史的背景 B.徴集」(同27〜29)で慰安婦の募集について3つの方法があったと述べている。すなわち、1 売春業従事者の自発的応募、2 職業詐欺や「女子挺身隊」募集、3 奴隷狩りのような強制連行だ。その部分を西岡訳で引用する。(註は本文では巻末にあるが、分かりやすくするため註の場所にそのままつけた)。
第二章 歴史的背景 A.総論
14 戦争が継続し東アジアの様々な場所に駐屯する日本人兵士の数も多くなり、軍隊性奴隷の需要も多くなったので、新しい募集の方法が作られた。そのため、東アジア各地、特に朝鮮で詐欺や強制という方法が増えた。多くの名乗り出た朝鮮人元「慰安婦」の証言は、強制や詐欺がしばしば行われたことを暴露している。相当な数の女性被害者(ほとんどが朝鮮人)が自分たちを連れて行った責任がある多数の業者や現地協力者による詐欺やなりすましについて証言している。(註1 G. Hicks “Comfort women, sex slaves of the Japanese Imperial Force”, Heinemann Asia, Singapore, 1995 p.XIII、24、42、75)
15 1932年に成立した国家総動員法は戦争末期の数年間を除くと全面的に施行されなかったが、日本政府が同法を強化していくにつれて、男性と女性の両方が戦争に協力する事業に動員された。これとの関係で、女子挺身隊が作られ、表面上は日本軍を助けるため女性たちを工場やそれ以外の戦争に関係する仕事をさせるためのものだった。けれども、これを口実として多くの女性たちがだまされて軍隊性奴隷にされた。挺身隊と売春の関係はすぐに周知のこととなった。
16 最終的に、日本は増大する軍の需要のため、暴力やあからさまな強制により多くの女性を集めることができた。多くの女性被害者たちが、娘が連行されるのを阻止しようとした家族に対して暴力が加えられ、ある場合は、連行される前に両親の見ている前で兵士らによってレイプされることもあったと、証言している。ヨ・ボクシルについての調査によると、多くの少女らと同じく自宅で捕まり、彼女の連行を止めようとした父親が殴られ、その後に連れ去られたという。(註2 前同p.23)
第二章 歴史的背景 B.徴集
27 けれども、すでに述べたように、元慰安婦たちの話の中に豊富な情報があり、合理的明白な像が提供されている。三通りの募集方法が確認されている。すでに売春業に従事していた婦人や少女たちがみずから望んできたもの。軍の食堂料理人あるいは洗濯婦など高収入の仕事を提供するといって誘い出す方法。最後は日本が占領していた国で奴隷狩りのような大規模で強制・暴力的な連行を行うことだ。(註7 G. Hicks 前掲書p. 20, 21, 22.と全体から)
28 より多くの女性を求めるために、軍部のために働いていた民間業者は、日本に協力していた朝鮮警察といっしょに村にやってきて高収入の仕事を餌に少女たちを騙した。あるいは一九四二年に先立つ数年間には、朝鮮警察が「女子挺身隊」募集のために村にやって来た。
このことは、徴集が日本の当局に認められたもので、公的意味合いを持つことを意味し、また一定程度の強制性があったことを示している。もし「挺身隊」として推薦された少女が参加を拒否した場合、憲兵隊もしくは軍警察が彼女らを調査した。実際、「女子挺身隊」によって日本軍部は、このようにウソの口実で田舎の少女たちに「戦争に貢献する」ように圧力をかけるのに、地方の朝鮮人業者および警察を有効に利用できた。(註8 前同p.23-26. その他「慰安婦」本人の証言)
29 さらに多くの女性が必要とされる場合に、日本軍は暴力、露骨な強制、そして娘を守ろうとする家族の殺りくを含む人狩りという手段に訴えた。これらの方法は、一九三八年に成立したが一九四二年以降にのみ朝鮮人の強制徴用に用いられた国家総動員法の強化により容易となった。(註9 前同p.25.)元軍隊性奴隷の証言は、徴集の過程で広範に暴力および強制的手段が使われたことを語っている。さらに吉田清治は戦時中の経験を記録した手記の中で、国家総動員法の労務報国会の下で千人におよぶ女性を「慰安婦」とするために行われた奴隷狩り、とりわけ朝鮮人に対するものに参加したことを認めた。(註10 吉田清治『私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行の記録』東京、1983年)
以上から、判決がいう「慰安婦の強制連行に係わる記述」に該当すると思われる部分を抜き出すと、大きく分けて2つに分類できる。
すなわち、国会総動員法にもとづく動員だ。項目番号15と28がこれだ。公権力による動員であり、従わないと罰を受けるものだ。この2項目では確かに吉田清治証言は根拠とされていない。根拠として明示されているのは、G. Hicks “Comfort women, sex slaves of the Japanese Imperial Force”, Heinemann Asia, Singapore, 1995のp.23-26(邦題:ヒックス著『性の奴隷 従軍慰安婦』p27-29)である。【追記1】
ヒックス氏の原文著書の該当ページを見ると、そこには在日朝鮮人評論家キム・イルミョン氏の一方的主張が紹介されている。それだけだ。キム氏は「ある村で女子挺身隊としての慰安婦動員があった。」としているが、一体どこでいつそれがあったのか、キム氏がそれを目撃したのか、そうでなければどこからその話を持って来たのかまったく明らかにしていない。
すでに1990年代はじめの段階で、朝日新聞を含む主要マスコミと、慰安婦問題に関する日本政府の責任を強く主張する左派系学者吉見義明氏を含む日本の学界でも資料価値を認める者はいなかった。
もしかすれば、判決は、明示はされていないが女子挺身隊としての強制連行説について元慰安婦の証言があると言いたいのかもしれない。しかし、その主張は成り立たない。なぜなら、女子挺身隊として強制連行されたと主張している元慰安婦は存在しないからである。
逆に、クマラスワミ報告のこの記述も実は吉田清治証言を根拠にしていると見ることができる。なぜなら、吉田は「1943年5月、軍から朝鮮人女子挺身隊員200名を済州島で動員せよという命令を受けて、奴隷狩りのような動員を実行した」と証言しているからだ(『私の戦争犯罪』p100)。
以上見たとおり、クマラスワミ報告における女子挺身隊としての強制連行説の典拠は吉田証言とキム氏の著述しかない。国連人権委員会特別報告者であるクマラスワミ氏が学術書とは言えない在日朝鮮人評論家の主張だけでそれを事実と信じて報告書に記述したとは考えにくい。クマラスワミ報告にとって吉田証言は決定的に重要である。その吉田証言を最初に報道し、また、どこのマスコミより多数回にわたり、しかも大きく報道したのが朝日新聞だ。クマラスワミ氏が報告書を書いた1990年代前半に朝日新聞の影響を受けなかったということは困難だろう。
4 強制連行Ⅱ(奴隷狩りによる連行)について
次に、クマラスワミ報告の強制連行主張の2つめの類型である「日本軍による奴隷狩りのようなむき出しの暴力による連行」について検討する。
項目番号16と29がこれである。いずれにも吉田証言が典拠として明示されている。しかし、確かに判決の言うとおり、報告は「元軍隊性奴隷の証言は、徴集の過程で広範に暴力および強制的手段が使われたことを語っている。」と書いて、元慰安婦の証言がこの説の根拠だと明記している。
しかし、日本の学界ではこの説は1990年代前半に支持を失っている。つまり、日本の学界では元慰安婦らが日本軍によって奴隷狩りのように連行されたとしている証言を歴史資料として採用するには裏付けが薄弱だと判断しているのだ。【追記2】
たとえば歴史学者の秦郁彦氏は「朝鮮半島においては日本の官憲による慰安婦の強制連行的調達はなかった」(秦郁彦『慰安婦と戦場の性』新潮社、1999年 192頁上段17 〜 19行目)と主張している。日本政府の責任を重く見る側の代表的歴史学者、前出の吉見義明氏と和田春樹氏も以下のようにほぼ同じ見解を述べている。
吉見「官憲による奴隷狩りのような連行が朝鮮や台湾であったことは確認されていない。また、女子挺身勤労令による 慰安婦の動員はなかったと思われる」(吉見義明・川田文子編『「従軍慰安婦」をめぐる30のウソと真実』(大月書店、1997年 24頁3〜4行目)、和田「官憲による直接的強制を立証する文書資料がいまだ発見されていないのはたしかです」(『アジア女性基金ニュース』8号 1997年3月5日発行 3頁左段15 〜 17行目)。
日本政府も調査の結果について「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかったところである」 (内閣総理大臣安倍晋三「衆議院議員辻元清美君提出安倍首相の「慰安婦」 問題への認識に関する質問に対する答弁書」2007年3月16日)と明言している。
韓国でも、元慰安婦の聞き取り調査に参加した安秉直ソウル大学名誉教授は、韓国のテレビで「強制動員されたという一部慰安婦経験者の証言はあるが、韓・日双方、客観的資料は一つもない。韓国には私娼窟があり、慰安婦のような存在が多数いる。そのような現象がなぜ起こるのかを研究すべきだ。強制によってそうした現象がおこるわけではないでしょう」と発言している。(2006年12月6日に放映された韓国・MBC放送「ニュース焦点」。)
5 毎日新聞のクマラスワミ発言について
判決の②≪さらに、クマラスワミ氏自身、吉田証言はクマラスワミ報告の証拠のうちの一つに過ぎず、元慰安婦への聞き取り調査を根拠に日本軍が雇った民間業者が誘拐した事例があったと認定しているから、被告が吉田証言に係わる記事を取り消したとしても同報告内容を修正する必要はないとの考え方を示していること≫を検討する。【追記3】
確かに乙第17号証の毎日新聞の記事では、判決の言うとおりの記述がある。しかし、①への検討で見たとおり、クマラスワミ報告の2つの強制連行説の中に「日本軍が雇った民間業者が誘拐した事例があった」とする記述は存在しない。
「28 より多くの女性を求めるために、軍部のために働いていた民間業者は、日本に協力していた朝鮮警察といっしょに村にやってきて高収入の仕事を餌に少女たちを騙した。」という記述があるが、そこでは「軍部のために働いていた民間業者」とされており、毎日記事の「日本軍が雇った民間業者」という表現とは異なる。報告書の英文原文でも「private operators working for the military」とされており、「雇った」にあたる表現はない。また、「騙した」と「誘拐した」は全く別のことであり、同一視することはできない。
したがって、修正の必要が無いというクマラスワミ氏の発言は、インタビューを行った共同通信の記者が彼女の発言を聞き間違えた疑いが濃い。共同通信社の記者のインタビューを報道したのが毎日新聞だけだというのも解せない。したがって、これだけでも乙第17号証は信憑性に疑問があり、かかる記事を鵜呑みにした判決の立論も崩れざるを得ない。
それだけでない。朝日新聞は2014年、吉田清治証言を取り消しただけでなく、女子挺身隊として慰安婦を連行したという自社の記事や社説も取り消している。そのことをクマラスワミ氏が正確に理解していれば、女子挺身隊制度を利用して強制連行を行ったと断定している報告書の内容について「修正する必要は無い」との考えを示すことは論理的にあり得ない。クマラスワミ氏が朝日新聞の誤報訂正内容を正確に理解していなかったのでなければ、彼女は自己の間違いを認めることを感情的に嫌う思考の持ち主である疑いすら出てくる。
以上の検討から、クマラスワミ氏本人が「修正する必要は無い」と強弁したとする乙第17号証記事は、取材が不十分で彼女の発言を正確に伝えていないのか、あるいは、彼女が朝日新聞の誤報訂正内容を正確に理解していないのか、または、彼女自身が感情的になって自己の主張の正しさを強弁したのか、その3つのうちどれかにあてはまると考えられる。
そして、そのどの場合も、朝日新聞が遅ればせながらでも2014年に英文で誤報訂正についてきちんと説明する広報を行っていれば、クマラスワミ氏は自己が過去に書いた報告書の事実記述の誤りに気づき、訂正したいという意思表示をした可能性が高い。それがあれば、米国をはじめ国際社会でいまだに拡散している、強制連行、性奴隷、20万人という事実に反する誹謗中傷がかなりの程度、是正されていただろう。朝日新聞の開き直りの罪は重いと私は考える。
6 米国下院決議121号の説明資料について
最後に、判決の③≪米国下院決議121号の決議案の説明資料には吉田の著書は用いられていないこと≫という部分を検討する。
ここで言われている説明資料とは、米議会調査局の報告書を指す。121号決議が下院本会議で採択されたのが2007年7月1日だ。その数カ月前に、議会調査局は「日本軍の慰安婦」と題する報告書(作成者ラリー・ニクシュ調査員の名をとってニクシュ報告書と呼ぶ。また、後述の第1次報告書との対比で2007年4月に作成されたものを「第2次ニクシュ報告書」と呼ぶ)を出した。確かに、そこには吉田の著書は用いられていない。【追記3】
しかし、121号決議は同年1月にマイク・ホンダ議員らによって下院国際関係委員会に提出されている。そのときには同年4月の議会調査局の報告書はまだ世に出ていなかった。実は、議会調査局は前年の2006年4月に、最初の「日本軍の慰安婦」報告書(以下、「第1次ニクシュ報告書」と呼ぶ。)を出している。ホンダ議員らはそれを参考にして決議を作り、同僚議員の賛成署名を集めた。第1次ニクシュ報告書にはなんと冒頭に吉田清治の慰安婦奴隷狩り証言が取り上げられている。したがって、吉田証言は121号決議に大きな悪影響を与えたと断定できる。
その上、121号決議は、クマラスワミ報告が用いた「性奴隷制」という用語をそのまま使っている。更に、同決議は日本政府に対して、「日本政府は『慰安婦』に係わる国際社会の勧告に従い、現在と未来の世代にこの恐るべき犯罪について教育すべきである」と求めているが、ここで言われている「国際社会の勧告」には当然、クマラスワミ報告が含まれていると考えるのが自然だ。
その意味でも朝日新聞が2007年までに吉田証言報道などを取り消し、クマラスワミ氏をはじめとする国際社会に対してその誤報の全体がしっかり分かるように英文などで説明していれば、121号決議が採択されなかったか、大幅に修正されていた可能性は高いと私は判断している。
7 まとめ(朴裕河『帝国の慰安婦』の記述から)
以上のとおりであり、一審判決23ページの判示、≪①クマラスワミ報告における慰安婦の強制連行に係わる記述は、吉田証言が唯一の根拠ではなく、元慰安婦からの聞き取り調査もその根拠であること、②さらに、クマラスワミ氏自身、吉田証言はクマラスワミ報告の証拠のうちの一つに過ぎず、元慰安婦への聞き取り調査を根拠に日本軍が雇った民間業者が誘拐した事例があったと認定しているから、被告が吉田証言に係わる記事を取り消したとしても同報告内容を修正する必要はないとの考え方を示していること、③米国下院決議121号の決議案の説明資料には吉田の著書は用いられていないこと、(略)が認められる。≫の①②③がいずれも誤っていることを論証した。
一審判決は当該部分をもって朝日新聞が取り消した慰安婦誤報記事とクマラスワミ報告ないし米下院決議121号との因果関係を否定する理由として用いているが、その論理が成り立たないことは自明である。
最後に、朝日新聞が取り消した慰安婦誤報記事が、奴隷狩りによる連行や挺身隊の名による連行という間違った認識を世界に広めたことを明らかにしている重要な証拠を提示する。それは韓国の研究者である朴裕河教授が表した『帝国の慰安婦』の韓国語版にある。そこには、「『慰安婦』を『強制的に連れて』行ったと語り『朝鮮人慰安婦』認識に決定的影響を与えたのは吉田政治の本『朝鮮人慰安婦と日本人』(1977)、『私の戦争犯罪』(1983)だ。」と書かれているのだ(朴裕河『帝国の慰安婦』韓国語版48ページ)。それは吉田清治の証言を世に出した朝日新聞の誤報が決定的影響を与えたと言っているに等しい。
ところが、被控訴人の子会社である朝日新聞出版から出されている日本語版には、「決定的影響を与えた」という部分が削除され、「『朝鮮人強制連行』説を広めた」とだけ書かれている。それが本件裁判を意識してなされた意図的なものでないことを祈りたい。
以上
【追記1】 クマラスワミ氏は、日本語も韓国語も読めない。そのため当時唯一の英文の著作であった豪州のジャーナリストであるジョージ・ヒックス氏の『comfort women』にその多くを依拠している。報告書の第Ⅱ章の引用11箇所のうち10箇所が同書を引用している(他の1つは吉田の『私の戦争犯罪-朝鮮人強制連行』東京、1983年である)。
そもそもヒックス氏の『comfort women 』は吉田清治証言に大きく依拠したものだ。ヒックス氏は、自らが「記念碑的な著作」と呼ぶ吉田の『私の戦争犯罪-朝鮮人強制連行』について同書の195頁で次のように述べている。“Given the official Japanese reluctance to accept responsibility for the comfort system and its forced draft of women, the memoirs of Yoshida are very important. They remain the only independent and semi-official account of the recruitment process, aside from the evidence of the comfort women themselves.”(邦訳:慰安システムと女性の強制徴用について責任を認めたがらない日本政府の対応を考えれば、吉田の回顧録は非常に重要である。慰安婦自身から得られる証拠を別とすれば、それは未だに、動員過程に関する唯一の独立した、準公式の報告であり続けている〔なお、同書の日本語版『性の奴隷 従軍慰安婦』(濱田徹訳、1995年)では、上記部分中「準公式の」が訳出されていない(訳書192頁)〕)。
後に虚偽と判明する吉田清治の回顧録に対し、ヒックス氏が“semi-official account”という高い信頼性を認めている理由は、朝日新聞の報道によるものであることは疑いない。ヒックス氏の著作を下敷きにしているともいえるクマラスワミ報告が朝日新聞の誤報の影響下にあることはこのことからも明らかである。
【追記2】 実際、クマラスワミ報告に引用されている元慰安婦の証言は、いずれも奴隷狩りの強制連行の証拠たりえない。それらのうち強制連行に触れているのは1件しかないが、別紙のとおり、いずれも信憑性に欠けるものである。
【追記3】 2007年4月に作成された米議会調査局の第2次ニクシュ報告書の参考資料には、第1次ニクシュ報告書の参考資料の冒頭に明記されていた吉田清治の著書が削除されていた。しかし、1992年1月11日の朝日新聞記事の報道、すなわち「吉見義明教授が発掘した軍の命令書を朝日新聞が報じたという事実」が証拠リストの筆頭に挙げられていた。同記事には「慰安婦とは主として朝鮮半島から挺身隊の名で慰安所に強制連行された女性をいう。」という解説があり、これと併せ読むと挺身隊の名による強制連行そのものに陸軍が関与していた命令が発見されたという誤った印象を与えるものとなっている。
しかし、吉見教授が発見した命令書は、慰安婦の強制連行に関わるものではなく、慰安所の設置に関するものであり、なかには悪質な業者の取締りを指示したものもあった。軍による強制連行や性奴隷の存在を証明するものではなかったのだ。
いずれにしても、後に取り消されることになった朝日新聞の一連の誤報記事(もちろん、1992年1月11日の記事も含む。)が第1次及び第2次ニクシュ報告書を通じて2007年の米国下院決議に大きな影響を与えたことは疑う余地がない。
(了)