西岡力会長の新著をご紹介します

西岡力会長の新著をご紹介します

 

 

皆様

 お世話になっております。この度、当研究会の西岡力会長が新著を発表されました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『わが体験的コリア論 覚悟と家族愛がウソを暴く』のご購入はこちらをクリック下さい。

 

 西岡会長の30年の研究成果が凝縮された珠玉の一冊です。いわゆる「従軍慰安婦問題」の始まりから北朝鮮に拉致された被害者の方々とそのご家族たちとの記録が記されています。
 朝鮮人女性が日本軍に強制連行されて慰安婦にされたという嘘を広めたのは誰なのか。北朝鮮の拉致などないと言って捜査を妨害したのは誰なのか。日本人の名誉と生命を蔑ろ(ないがしろ)にする日本人の嘘を暴いた西岡会長の闘いをご覧下さい。

 

・前書きの一部をご紹介

 コリア(韓国と北朝鮮)について研究し始めて約50年になる。その中で、いつも、研究と道徳、あるいは価値観は切り離せないと思ってきた。
 私にとって道徳とは何か。コリア研究をしながら体験的につかんだのは、道徳とは命よりもたいせつなもの、あるいは命をかけても実現すべきこと、だということである。
 今から20年ほど前、いじめなどを理由にした中学生の自殺事件が多発していたとき、テレビで識者と言われる人々が次々出て、自殺をするなと呼びかけていた。異口同音で命は大切だ、命を粗末にするな、命を捨てるくらいなら全てを捨てて逃げなさい、などと語っていた。命が一番大切だという主張だ。
 それを見ながら私は、命より大切なものがこの世にあるはずだ。大人の役割は若い世代に命をかけてなすべき価値がこの世界にあるということを教えることではないかと、思っていた。
 命至上主義はある意味で戦後の日本の象徴かもしれない。そして、実は私も高校生の頃、髪を肩まで伸ばしジーンズをはいてベトナム反戦デモに参加しながら命こそが大切だという「反戦フォークソング」を聞いていた命至上主義者だった。
 加川良という歌手が自作自演していた「教訓1」という歌だ。その歌詞の一部を紹介したい。
  命はひとつ人生は1回
  だから命を捨てないようにネ
  あわてるとついフラフラと
  御国のためなのと言われるとネ
  青くなって しりごみなさい
  にげなさい かくれなさい
  御国は俺達死んだとて
  ずっと後まで残りますよネ
  失礼しましたで終わるだけ
  命のスペアはありませんよ
  青くなって しりごみなさい
  にげなさい かくれなさい
 戦前のわが国の歴史を否定して、国のために命を捧げることは馬鹿らしいと歌うのだ。このような反日自虐史観を持っていた私は、大学3年時に交換留学で1年間、韓国の延世大学で学ぶ中で強いカルチャーショックを受けた。いや、より正確に言うと思想的転換を迫られた。
 当時の韓国では軍人は大変尊敬されていた。ソウルの街には休暇で部隊を離れている軍服姿の兵士らが多数、目についた。屋台のおばさんらは兵士が店に来ると、国のために苦労していると言ってねぎらいの言葉をかけ、盛りをよくしたり無料で料理を追加したりしていた。
 親しくなった韓国人の友人は私のうちに日の丸がないことを知ってこう語った。
 「今の日本人は愛国心がないな。祝日に国旗を掲げるのは国を愛する国民が当たり前にすることだ。最近の新聞記事によると、日本の若者の大多数が戦争になったら逃げると世論調査に答えていた。嘆かわしいな。韓国の若者は違う。俺はもし、日本が独島(竹島のこと)に自衛隊を送ってきたら志願してでも戦うぞ。お前ももっと愛国心を持って日本に帰って自宅に日の丸を掲げろ」
 考えてみれば、韓国は日本の統治時代に当然ながら自国の軍隊を持てなかった。だから、独立後、韓国軍を持ったことが誇りなのだ。また、朝鮮戦争で北朝鮮が奇襲南侵をしてきて、国を失う直前まで追い込まれたから余計、軍の必要性を切実に感じていた。
 命をかけて国を守らないと国が亡くなる。だから、世界中の国が自衛のために軍隊を持っている。戦後の日本も自衛隊を持っている。国という共同体を守るために命をかけることは世界の常識だった。そのことに私は韓国に留学して気づいた。
 新約聖書に次のような言葉がある。
 私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをもあらかじめ備えてくださったのです。
 (エペソ書2章10節)
 私たちがこの地上で命を与えられたのは、その命をかけてなすべきことがあるからだ。命はそのために使うものだ。命より大切なものがある、それが私にとっての道徳だ。これが50年近くコリア研究をしてきた私の体験からくる結論だ。
 そのことを皆さんと共有したくてこのつたない書物をまとめた。